ろんです。
前回はフロー(=毎年の資産の積み上げ)を大きくするには4つの方策があり、その中の方法の1つとして、「投資をして利率をなるべく高くする」がある、と書きました。一方で、心にもやもやを抱えながら投資をする必要は必ずしもないのでは?とも書きました。
投資をすることで人生を豊かに。人生の幅を拡げることができる
心にもやもやを抱えながら投資をしなくてもいいと思いますが、心にもやもやを抱えることで何を得ることができるのでしょうか?
私は22歳の大学院1年生の時に投資/投機を開始し、この記事を書いている時点で28年目に突入しました。文字にしてみるとずいぶん長い時間が経ったな、と感じます。そして今後も投資を続けるでしょう。
投資を続けたことで、ずいぶん人生の幅を拡げることができたと感じています。そう感じる理由は、以下3つです。
①投資した資産から収入を得た。
②鏡の裏側の世界をのぞいたり、想像できるようになった。
③リスクとリターンは表裏一体ではあるが、必ずしも表裏一体ではない。リスクの適切な取り方について考えられるようになった。
①より②、②より③の方が私にとっては価値がありました。
投資によるリターンは、少なく見積もっても3000万円
まず①ですが、シンプルに金銭的に豊かになりました。投資をしなかった場合より、多くのモノ、サービスを享受できています。
正確には計算していませんが、もうずいぶんと長い間、年間で少なくとも100万円はリターンを得ています。配当で月々の支出を補うのを基本に、株主優待で外食の多くをまかない、換金して得たPaypayをお小遣いとして、自分が必要だと思うもの、サービスを比較的自由に選択して暮らしています。
前回書いた通り、私が投資を始めた当初10年間はインデックス投資をしていると数年で元に戻る、含み損になる、というような相場環境だったので、優待株、高配当株投資をコアとした投資になりました。これは元本成長を求めるというより、キャッシュを求める投資でした。結果として、投資からのキャッシュフローは、私の生活を豊かにしてくれました。
立場を逆にしてみると、違う世界が見える
次に②について。働いてお金をもらう、という労働者としての考え方と並行して、お金を出してお金を通じて人に働いてもらう、そしてその収益を分配してもらう、という考え方を持つようになれたということです。
私はYahooオークションを2002年から行っていますが、初めて自分が出品したものが売れた時の喜びを今でも覚えています。サラリーマンとして現代社会を生きていると、自分1人だけの力でモノやサービスを提供してお金を得るという機会は意外とないのではないのでしょうか?
近くのお店でモノを買う時も、電車やバスに乗る時も、東京ディズニーリゾートで一日過ごした時も、だれがそのモノやサービスを作り上げ、どのように供給しているのか。その原価はいくらで、どの程度の固定費がかかっているのか、どの程度の利益が上がるのか、をざっくり想像する癖ができました。
投資を継続するにあたって、決算書を読めるようになりました。多くの企業を数字で見続けた結果、その企業の健康診断をできるようになりました。近づいていいか、見ているだけか、を考えるようになったわけです。
新しいお店ができたら、なるべく一回行くようにしています。そこでどんな価値が提供されているのかを知るためです。そして、このお店は繁盛して続くのか、続かないのか、も何となくわかるようになりました。面白いもので、予想は結構外れるのです。予想が外れたらもう一度考え直します。自分の考えに抜けがあることが多いと気づかされ、それを修正するのがまた面白いのです。
これらの思考訓練は本業の仕事でも活かされていますし、妻の自営業にも少しは役に立っていると考えています。
安全と安心を区別する。安心を求めると高コストになることが多い。
③について、リスクとリターンは表裏一体である一方、必ずしも表裏一体ではない、と学べたことです。
表裏一体の例として、私は、「安心」という文字を見かけたらその内容には注意するようにしています。「~しないと損」という文章も同じ。この2つのワードは、不安に付け込むキラーワードだと考えているからです。
人は誰かに保証してもらいたいのです。不安なのです。
不安は自分で対処方法を考えて何とかするのが基本だと私は考えています。ビジネスの基本は、誰かの「困った、助けて」を解決することなので、モノやサービスを購入するのは問題ありません。
一方で、不安を煽るビジネスは割高、もしくはそもそも不要なモノ、サービスであることが多いように感じます。不要なものなので、不安を煽って売っているのかなぁ、と感じるものも多いです。それが警戒レベルを上げるようになった理由です。
ということで、自分でできることは自分でやる。人に任せるのは自分でできるようになってから、が私の基本スタンスです。自分ができないことを人に任せるときはよくよくその内容を吟味します。自分の不安を人に解決してもらおうとすると、お金がかかるのです。
もやもやの正体は不安。不安はリスクを見積もれないことから起こる。そしてリスクはある程度まで見積もることはできるが、すべてを見積もることはできない。
ということで、不安との付き合い方を書きましたが、これは最初の「もやもや」なのです。もやもやをコントロールするのはなるべく自分自身で、しかも完全にはコントロールできない。。もやもやの一部は消せないものだ、と理解して、付き合っていく、というのが私のスタンスです。
投資はリスクとうまく付き合うように練習する絶好の素材なのです。
今回はもやもや≒不安≒リスクについて、消せるものは消す、消せないものはうまい感じに付き合っていく、ということについて書きました。
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